気がつくと、車のハンドルを握りながら、果てしなく続く田舎道を走っていた。どこへ向かっているのか、正直よく分からない。ただ、「温泉に入りたいなあ」と思ったのは覚えている。でも、だからといって、ここまで来る必要があったのだろうか?

車のナビ画面を見ると、上五貫野と表示されている。見知らぬ地名だ。地図の上でしか見たことのない名前が、現実に道標となっている。となると、ここはどこなのか? そもそも、温泉はあるのか? 一抹の不安が胸をよぎる。しかし、それを振り払うかのように、私はアクセルを踏み込んだ。
外を見ると、空はすっかり茜色に染まり、電線がそのシルエットを刻んでいる。夕陽が沈むその瞬間、「まあ、これも旅というものだ」と自分に言い聞かせた。旅というのは、目的を持つと途端に窮屈になる。しかし、目的がぼんやりしていると、不思議と自由を感じるのだ。

ナビには到着予定時刻が「7:37」と表示されている。まだ40分近く走るのか。温泉に浸かるどころか、温泉に辿り着く前に運転だけで汗をかきそうだ。果たしてこの先に、本当に温泉があるのだろうか? もしかすると、到着してみたら「本日休業」なんてオチかもしれない。そうなったら笑うしかないな、と思いながら、再びハンドルを握り直した。
どこへ行くのか分からない旅ほど、面白いものはない。たとえ、温泉にたどり着けなくても、この長閑な景色と夕陽だけで、もう十分すぎる収穫だったのかもしれない。
ふと、道沿いに立つ看板が目に入った。「松之山温泉」と書かれている。新潟県十日町市にあるこの温泉地は、日本三大薬湯の一つとして知られているらしい。伝説によれば、700年前に猟師が傷ついた鷹が湯に浸かって傷を癒しているのを見て、この温泉を発見したという。温泉街には十数軒の旅館が立ち並び、訪れる者を温かく迎えてくれるそうだ。
さらに進むと、「越後湯沢温泉」の案内板が目に留まった。川端康成の小説『雪国』の舞台としても有名なこの温泉地は、越後湯沢駅の西側に位置し、温泉旅館やホテル、飲食店、土産物店が軒を連ねている。泉質は弱アルカリ性の単純温泉や硫黄泉、塩化物泉など多岐にわたり、源泉温度も幅広い。駅からのアクセスも良好で、多くの観光客で賑わっているという。
ほどなく小さな浴場を見つけた。「これだ、これを探していたんだ」と心の中で叫び、私は車を停めた。清潔感があり、木の温もりを感じる内装だ。湯船には源泉がかけ流され、静かな浴室内に湯の注がれる音だけが響いている。湯温はやや高めだが、心地よい。無色透明の湯に身を沈めると、旅の疲れが一気に癒されていくのを感じた。
湯上がりに外へ出ると、空には満天の星が広がっていた。「やっぱり、旅はこうでなくちゃ」と独りごち、再び車に乗り込んだ。目的地がはっきりしない旅も、たまには悪くない。むしろ、そんな旅だからこそ、思いがけない出会いや発見があるのかもしれない。次はどこへ行こうか。そんなことを考えながら、また長い道のりを走り始めた。
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