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ドゥブロブニクの猫と、その柔らかい背中

遊休知美

海風が頬をなでる。石畳の上にしゃがみ込んで、港の景色を眺めていると、いつの間にか一匹の猫が足元にやってきた。三毛の毛並みは陽を浴びてふわりと膨らみ、目を細めてこちらを見上げる。

試しに手を伸ばしてみると、彼女は少しのためらいもなく背中を差し出した。その柔らかさに驚く。異国の旅人であろうと、この街では猫も人も分け隔てなく優しさを与えてくれる。

ふと周囲を見渡す。日陰で伸びをする猫、市場の前で魚を狙う猫、店先の椅子を我が物顔で占領する猫。ドゥブロブニクの港には、その暮らしのいたるところに猫が溶け込んでいた。

「アドリア海の真珠」と戦火の記憶

この美しい港町は、かつて「アドリア海の真珠」と称えられた。かのジョージ・バーナード・ショーも「地上の楽園」と絶賛したという。中世には「ラグーサ共和国」として栄え、海洋貿易を独占していた時代がある。ヴェネツィアやオスマン帝国と巧みに渡り合いながら、独立を維持し続けた都市国家だった。

しかし、歴史の波は穏やかではない。1806年、ナポレオン軍によって占領され、やがてオーストリア帝国の支配下へ。その後、二度の世界大戦を経てユーゴスラビアの一部となる。

最も苛烈だったのは、1991年のユーゴスラビア紛争だ。ドゥブロブニクは独立を求めるクロアチアと、それを阻止しようとするユーゴスラビア人民軍の間で激戦地となった。旧市街は激しい砲撃に晒され、城壁の一部は崩れ、多くの文化遺産が焼失した。

だが、街は立ち上がった。戦後、多くの人々が復興に尽力し、今ではその爪痕を感じさせないほど美しく蘇っている。港の水面は静かに揺れ、透明な海の底にはロープが絡まるように歴史の記憶が沈んでいるようだった。

猫と人、そして港の時間

並んだボートは穏やかな水面に揺れ、青く透き通る海の底までくっきりと見えた。白い幌をかけた木造の船がいくつも浮かび、かつての商船の面影を残している。船の影が水面に映り込む様子は、まるでこの街が過去と現在を行き来しているかのようだった。

岸辺では漁師たちが網を片付けながら談笑している。昼の漁を終えたばかりなのだろう。猫たちは、その足元でじっと待機している。漁師が投げる魚の端切れに、一斉に群がるのもまた、この街の営みの一部だった。

猫は自由である。戦火があろうと、政変があろうと、港町の片隅で今日も魚の匂いを嗅ぎつけ、陽だまりのなかでのんびりと眠る。彼らにとって、歴史の激流は関係ないのかもしれない。

陽が傾き始めると、足元の三毛猫が立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。目が合うと、小さく鳴いて石畳の向こうへと消えていく。彼女の目的地がどこなのかはわからないが、きっと今夜も誰かに背中を撫でさせるのだろう。

ドゥブロブニクの猫は人懐こい——旅の記憶がそんな一文で締めくくられるのも、悪くない。

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