「列車は、あと1時間遅れます。」
カタルーニャの小さな駅、フィゲラス。アナウンスがスペイン語とカタルーニャ語で流れたあと、駅員が気まずそうに英語で教えてくれた。目の前に止まっている列車の行き先表示は「バルセロナ」。すでに何人かの乗客は車内に入り、リクライニングシートで読書を始めているが、私はまだ乗る気になれない。
「1時間」といえば短いようでいて、旅先では妙に長い時間になる。しかも、それが「待ち時間」となればなおさらだ。旅人は時間に縛られない自由を求めるはずが、こうして駅の時計に縛られることになる。
駅構内を見回しても、これといって時間を潰せそうな場所はない。売店は閉まり、カフェも営業していない。プラットホームにあるベンチに座っていると、隣の若いカップルが大声で喧嘩を始めた。何が原因かは分からないが、彼女が「あなたのせいよ!」と叫び、彼氏が困惑した表情を浮かべているのを見て、こんな風に、列車のトラブルが人間関係のトラブルまで生んでしまうのだろうか、などと密かに独りごちる。
目の前の列車には、大胆にスプレーアートが施されている。おそらく地元の若者たちの仕業だろう。デザインには統一感がないが、どこか愛嬌がある。「時間なんてクソくらえ」と書かれた風のメッセージが混じっているような気さえしてくる。
しばらくして、ホームの端でガイドブックを広げている中年の男性に目が留まった。彼はしきりに時計を見ている。おそらくこの遅延が、次の予定に影響を与えるのだろう。その姿を見て、私はふと、自分は予定らしい予定を立てていないことに気づく。予定を立てずに自由でいるつもりが、こんな時だけ「遅れ」に苛立つのはなぜだろう。
列車の運転士らしき男性がやってきて、機械をいじり始めた。周囲にいた乗客たちが集まり始め、彼に質問攻めをしている。彼は無言で作業を続け、時折「トランキーロ、トランキーロ(落ち着いて)」とだけ答える。その姿は、まるで大きなパズルを解こうとする学者のようだ。
待ち時間が30分を過ぎた頃、私はとうとう売店が閉まっている扉の前で自動販売機と向き合っていた。スペイン語の表示に戸惑いながらも、ボタンを押してペットボトルの水を買った。それを飲みながらホームを歩いていると、どこからともなくギターの音色が聞こえてきた。ホームの片隅で、年配の男性が弾き語りをしている。彼のギターケースには小銭がいくつか入っているが、それほど多くはない。それでも彼は気持ちよさそうに歌い続けている。その歌詞が何を意味するのかは分からないが、少しだけ心が軽くなった。
ようやくアナウンスが再び流れた。「列車は出発準備が整いました。」この言葉に、乗客たちは安堵と苛立ちが入り混じった表情を浮かべながら列車に乗り込んでいく。私も席に着き、リュックを棚に置いた。窓の外を眺めると、フィゲラスの風景が少しずつ遠ざかっていく。
遅れた時間を取り戻すかのように列車は速度を上げる。その振動を感じながら、ふと思う。この1時間が、たとえ何の生産性もない時間だったとしても、それはそれで旅の一部なのだ。予定通りに行かないことが旅の醍醐味だというのは、よく聞く言葉だが、こうして時計を見つめている間にも、私は確かに「旅をしていた」のだ。
列車は速度をさらに上げ、遠くにバルセロナの街並みが見え始めた。私は座席に身を沈め、次に何が待ち受けているのかを楽しみにしながら、旅の続きを味わうことにした。
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